|
テーマで選ぶ『精神・宗教』
・アインシュタイン ・倉田百三
・洪自誠 ・孔子 ・サン=テグジュペリ
・ジェームズ・アレン ・子思
・司馬遼太郎 ・親鸞 ・ソクラテス
・『大学』 ・タゴール
・ニール・ドナルド・ウォルシュ
・福島慶道 ・ブッダ
・マザー・テレサ ・水上勉
・森信三 ・山本常朝 ・吉田松陰
↑クリックすると、その人のスポットへ移動できます(^^)
その後、名言をクリックすると、書評コメントが読めます。
■
アインシュタイン(ノーベル物理学賞 受賞者)
□『アインシュタインの150の言葉』より
「神の前では、われわれは平等に賢く、
平等に愚かです」
→ このページのトップへもどる
■
倉田百三(作家)
□『出家とその弟子』より
「私は自分を悪人と信じています」
「私の肉は同じ仏子を食いますもの。
悪人でなくてなんでしょうか。」
「私は善くなろうとする願いはどこまでも失いません。
その願いがかなわぬのは地上のさだめです。」
「仏様は悪いと知って私たちを助けてくださるのだ。
悪人のための救いなのだ」
「百の悪業に催されて罪を感じている悪人よりも、
小善根を積んでおのれの悪を認めぬ偽善者のほうが
仏の愛にはもれているのだ。」
「人間の心にもし浄土のおもかげがあるならば、
それはまさしくゆるした時の心の相(すがた)であろう」
「信じてだまされるのは、まことのものを疑うより
どれほどまさっているだろう。」
「人の僕(しもべ)になれ。
人の足を洗ってやれ……くつのひもをむすんでやれ。」
「おゝ平和! もっとも遠い、もっとも内の。」
→ このページのトップへもどる
■ 洪自誠(『菜根譚』の著者)
□『菜根譚』より
「物事が失敗した後には、
逆に成功するものである。
だから、自分の思い通りにならない時でも、
やたらに手を放ち投げ出してはいけない」
「世のため人のためになる道徳や
事業を行う時には、人に率先して行い、
人のあとからするようなことは
してはいけない」
「彼が富の力でくるならば、
私は仁の徳をもって対抗し、
彼が名誉でくるなら、
私は正しい道をもって対抗する」
「人目につく所で わざわいを受けないように
したいと思ったら、まず人目につかない所で
罪を犯さないように心がけるべきである」
「その人の人柄は、
事業を興し発展させる基礎である」
「他人に恩恵を施す時には、
その恩恵に感謝されることを求めてはいけない。
他人に怨まれるようなことをしなかったならば、
それがそのまま恩恵である」
「人の過失をとがめる人は、
心を動かすごとに、それがすべて
自分を傷つける刃物となる」
「他人を信用する人は、他人は必ずしも
すべてに誠であるとは限らないが、
少なくとも自分だけは誠があることになる」
「他人を疑う人は、他人は必ずしも
すべてに偽りがあるとは限らないが、
少なくとも自分はまず欺いて(あざむいて)
いることになる」
「自分自身を錬磨するには、
くり返しきたえる金属のようにすべきである。
速成したのでは深い修養とはならない」
「事業を興しても、
自分の利益を追求するだけで、
徳を世に布き行うことを考えなければ、
眼の前に咲いているだけの
はかない花にすぎない」
「水のしたたりによって、石も穴をあけられる。
このように道を学ぶ人は、
その道を求め続けるようにしなければならない」
「太陽が沈んでしまっても、それでもなお
夕映えは美しく輝いている。
だから、人生の晩年に当たって、君子たるものは
さらに精神を百倍にも奮い立たせて
りっぱに生きるようにすべきである」
「おいしい食べ物は、自分の分を
三分ぐらい減らして相手に譲ってやる。
このような心がけこそ、この世を生きていく上で、
一つの極めて安らかで
楽しい方法である」
「人が世の中を生きてゆく時には、
自分から一歩を
ゆずることがよりすぐれた道である。
この一歩をゆずることが、それがそのまま
一歩を進める根本となるのである」
「家庭にある時の戒めとして二語ある。それは
『ただ思いやりが深くさえあれば、
家族の心はおだやかであり、
ただ倹約さえすれば費用は十分に足りる』
という二語である」
「古人の書物を読んでいながら、
聖賢の精神にふれなかったならば、
それは単なる文字の奴隷であるにすぎない」
「最も高遠な真理というものは、
最も平凡なものの中に宿っており、
至難な事柄は最も平易なものの中から出てくる」
「物に触れ 見たり聞いたりするものがすべて、
そのまま真理にほかならないことを、
心にしっかりわきまえておく必要がある」
「自分の心情の動きというものは、
平穏な状態もあり、乱れる状態もある。
であるから、どうして他人にだけ
いつも平穏な状態でいることを望めようか」
→ このページのトップへもどる
■ 孔子(世界の四聖の一人)
□『新訳論語』より
「父母はただその疾(やまい)をこれ憂う」
「敬うということがなくては、
何で犬馬と親を区別しようぞ」
「先ずその言を行い、しかる後にこれに従う」
「いにしえ言の出でざるは、
躬の逮ばざるを恥ずるなり」
「義を見てせざるは勇なきなり」
「徳孤ならず、かならず鄰あり」
「君子は人の美を成して、人の悪を成さず」
「子、人と歌いて善ければ、
必ずこれを反さしめて而して後これに和す」
「その身正しければ、令せずして行わる。
その身正しからざれば、令すといえども従わず」
「速やかならんを欲するなかれ、
小利を見るなかれ。
速やかならんを欲すればすなわち達せず、
小利を見ればすなわち大事成らず」
「人の己を知らざるを患えず、
己の能くするなきを患う」
「三人行けば必ずわが師有り。
その善なる者を択びてこれに従い、
その不善なる者はこれを改む」
「非礼視るなかれ、非礼聴くなかれ、
非礼言うなかれ、非礼動くなかれ」
「仁遠からんや。
われ仁を欲すれば、ここに仁至る」
「譬えば地を平らかにするが如し。
一簣を覆すといえども、進むはわが往くなり」
「学を好み、死を守りて道を善くす」
「朝に道を聞いて夕に死すとも可なり」
「己の欲せざる所人に施すなかれ。
邦に在りても怨みなく、
家に在りても怨みなけん」
「これを知るをこれを知ると為し、
知らざるを知らずと為せ。これ知るなり」
「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」
「終日食わず終夜寝ねず、以て思う。
益なし。学ぶに如かず」
「われ生れながらにしてこれを知る者にあらず。
古を好み、敏にして以てこれを求むる者なり」
「士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず」
「天下道有らば丘は与に易えざるなり」
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」
「巧言令色鮮し仁」
「君子はその言のその行いに過ぐるを恥ず」
「われ日に三たびわが身を省みる」
「躬自ら厚くして、人を責むるに薄ければ、
すなわち怨みに遠ざかる」
「和すれば寡なきことなく、
安ければ傾くことなし」
→ このページのトップへもどる
■
サン=テグジュペリ(作家。『星の王子さま』の著者)
□『星の王子さま』より
「心で見なくちゃ、
ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
□『サン=テグジュペリの言葉』より
「犠牲とは、おまえをなにものからも切断することなく、
逆におまえを富ますものだ」
「人間は真理を発見するのではない。
人間は真理を創造するのだ」
「真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、
ぼくが受け取ったものより
多くのものを与えた場合だけだった
ということを認めなければなりません」
「労働の一部は身を養いますが、
他の一部は人間を築きあげるのです」
→ このページのトップへもどる
■ ジェームズ・アレン(作家)
□『「原因」と「結果」の法則』より
「私たちの運命を決定する神は、私たち自身の
内側にいます。私たちの思いこそがそれなのです。」
「人間は、自分自身の人格的な欠陥を意欲的に正し、
素早い、目に見えた進歩を遂げたとき、
それに見合った環境の変化を体験することになります。」
「私たちの願いや祈りは、私たちの行いが
それに調和したものであるときにのみ
叶えられるのです。」
「苦悩は、それを体験している個人が、
自分を存在させている法則との調和に
失敗していることの、明確なサインです。」
「思いと目標が結びつかないかぎり、
価値ある物事の達成は不可能です。」
「人間は、もし成功をめざすならば、
自分の欲望のかなりの部分を
犠牲にしなくてはならないのです。」
「あなたの人格と人生を変えることができるのは、
あなただけなのです。」
「あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。
あなたの理想は、あなたの未来を
予言するものにほかなりません。」
「人間は、穏やかになればなるほど、
より大きな成功、より大きな影響力、
より大きな権威を手にできます。」
□『「原因」と「結果」の法則(2)』より
「その場所に問題が存在するということは、
とりもなおさず、同じ場所で問題を解決できる
ということにほかなりません。」
「まず、『悪いこと』に耐え、
つづいてそれを理解し、それから学ぶことです。」
「『悪いこと』は、もしあなたがそれから何かを
学んだならば、あなたをよりハイレベルな知恵へと
導いたあとで、きれいに消滅することになります。」
「いきなり大きな成長を目指すのではなく、
最初はまず、自分がもっているものを
有効に用いて、着実な前進を心がけることです。」
「すぐにそれを行いはじめることです。
いまいるこの場所で、この瞬間からです。」
「あなた自身を征服したならば、
そのときあなたは、
宇宙を征服したことになります。」
「どんな仕事をしていようと、それを行うときには、
その上に心のすべてを集中し、
自分の能力のすべてを注ぎ込むことです。」
「求めることのなかではなく、
与えることのなかで、
あなたは求めているものを発見します。」
□『運命を変える7つの学びのステージ』より
「まっすぐな気持ちで、心から望む状況を
心に描いて、それにふさわしい
考えや行動を見つけだすことです。」
「性格だけでなく、能力も、
定着した習慣です。」
→ このページのトップへもどる
■子思(孔子の孫)
□『中庸』より
「君子の道は たとえば遠方に行くには
必ず近き所より発足する」
「物事は何事によらず
あらかじめ準備をすれば成立するけれども、
あらかじめ準備をしなければ
失敗するものである」
「誠は天の道なり。
これを誠にするは人の道なり」
「これを誠にするは
善を択んでこれを固執する者なり」
「一旦行う上は
篤く実行し得なければ中止しない。
他人が一たびするときは、自分は百たびし、
他人が十たびするときは自分は千たびする」
「君子の及び難きところは、
それただ人の見ず知らざる所において、
よく独りを慎み
敢えて怠らない点であろう」
→ このページのトップへもどる
■
司馬遼太郎(作家)
□『21世紀に生きる君たちへ』より
「人間は、自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。」
「自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない。」
→ このページのトップへもどる
■ 親鸞(浄土真宗の祖)
□『歎異抄』より
「本願を信ぜんには、他の善も要にあらず」
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
「本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、
もっとも往生の正因なり」
「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」
「わがはからいにて
つくる善にもあらざれば非善という」
「くすりあればとて
毒をこのむべからず」
→ このページのトップへもどる
■ ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)
□『ソクラテスの弁明・クリトン』より
「彼は何も知らないのに、
何かを知っていると信じており、
これに反して私は、何も知りもしないが、
知っているとも思っていない」
「魂の探求なき生活は
人間にとり生甲斐なきものである」
「人は、何人に対しても
その不正に報復したり
禍害を加えてはならないのだ」
「殺されるかまたは
他の憂き目に遭わなければならない
などということは、
不正を冒すよりも遥かにましなのだ」
→ このページのトップへもどる
■ 『大学』(作者不詳。中国の古典“四書”の1つ)
「天が人民を生む以上は、
きっとこの人民に仁義礼智の
生まれつきを与えないわけはない。
必ず与えたはずである」
「物には本末がある。
必ず己の明徳既に明らかにして、
しかして後
民を新たにすることができる」
「上は天子より下は庶人に至るまで、
一切みな修身をもって本とする」
「我が身修まらずして、
家の斉い(ととのい)、国の治まり、
天下の平らかならんことを欲するは、
その本 乱れて末の治まらんことを
望むものにして、必ずその理無し」
「心の中の真相は、おのずから
外貌にあらわるという。
故に君子は深くこれを戒めて、
必ずその独りを慎むのである」
「独りを慎めば、その効果はまた
著しきものがある。
たとえば富貴なれば、
その家屋おのずから美しきがごとく、
道徳修まれば
その身はおのずから美しくなる」
「君子が国を治めんとするには、
ただ己の身をもって家を教うれば
自然に一国の模範となりて、
国民 皆その徳に感化するのである。
けだし家と国とその理は同一である」
「親に孝なる心をもって
君に事うればすなわち忠、
兄に弟なる心をもって
長者に事うればすなわち順、
子弟を慈しむ心をもって
衆人を使えばすなわち恵である」
「上の我を使うに無礼なるを悪めば、
必ずこれをもって下の心を度りて、
下を使うにあえて
無礼をもってせぬようにする」
「下の我に事うること不忠なるを悪めば、
必ずこれをもって上の心を度りて、
またあえて不忠をもって
上に事えぬようにする」
「君子はまず第一に徳を慎む。
徳あれば衆心これに帰服す、
ゆえに徳あれば人ありという」
「衆人これに帰服すれば、
おのずから領土も広まるから、
人あれば土ありという。領土広まれば
その地から出る租税も自然に多くなるから、
土あれば財ありという」
「要するに人君の徳が本で、財は末である」
→ このページのトップへもどる
■ タゴール(詩人。アジア最初のノーベル文学賞受賞者)
□『タゴール詩集』より
「すべての嬰児は
神がまだ人間に絶望してはいない
というメッセージをたずさえて生れて来る」
「花はその花弁のすべてを失って
果実を見いだす」
「彼らは憎み、また殺す、
そうして人々は彼らをたたえる。
しかし神は赤面してその記憶を
いそいで青草の下にかくす」
「人間の歴史は
虐げられた者の勝利を
忍耐づよく待っている」
「もし彼らが背を向けて、
荒野を横ぎる時にお前を見捨てるとも
おお、運のわるい男よ
足の下に茨を踏みつけ、
ひとりで血のしたたった道を旅して行け
夜が嵐でどよめいている時
もし彼らが光を高く掲げないとしても
おお、運のわるい男よ
苦悩の雷火でお前自身の胸に火を点じて
それをただ一つ燃えさせるがいい」
→ このページのトップへもどる
■
ニール・ドナルド・ウォルシュ(『神との対話』の著者)
□『神との対話(1)』より
「すべてのひとは特別であり、
すべての時は黄金である。
他よりも特別なひと、
特別な時というものはない」
「人生とは発見ではなく創造のプロセスだ」
「何かをする理由は、ひとつしかない。
宇宙に向かって、自分が何者であるかを
示すことである」
「間違いは、それを選んだことではなくて、
それを悪と呼ぶことである」
「問題はひとつしかない。
『いま、愛なら何をするだろうか?』」
「明日すべての戦争を終わらせることができる。
簡単に、たやすく。
いま必要であり、これまでも必要だったのは、
全員が心をひとつにすることだけだ」
「神の名をかたって人間を殺害するという
偽善をしている者までいる。
これは最大の冒涜だ。
『ほんとうのあなたがた』に
ふさわしくないからだ」
「たのむから、
もっと自分を大切にしなさい」
□『神との対話(2)』より
「何かを選ぶなら、全力をあげて、
心から選びなさい。
いいかげんな気持ちではいけない。
選びつづけなさい。前進しつづけなさい。
決意をもちつづけなさい」
「現在(pre-sent)とは、
前もって(pre)
送られた(sent)
という意味なのだ」
「あなたは自分が考える
最高の自分のイメージに従って、
自分を創りつづけているのだよ」
「いいかね。願えば与えられるだろう。
求めれば、見つかるだろう。
叩けば、開かれるのだよ」
「わたしがどこにもいない(nowhere)
としたら、わたしはどこにいるか?
いまここに(now here)いる」
「他のひとの苦しみの経験を
自分のものとして学ぶ能力がないこと、
それが、いつまでも苦しみが続く原因だ」
「他者の意識を変える最善の方法は、
こちらからお手本を示すことだ」
「世界が変わってほしいと思うか?
では、あなた自身の世界を変えなさい」
「あなたが行動すれば、彼らも行動する。
まず、あなたから始まる。
何もかも、すべてがあなたから始まるのだ」
「望むものを いくらでも愛しなさい、
好きになりなさい。
何かを愛すれば、
自分に引き寄せられるのだから」
「自分にありあまる喜びを与えなさい。
そうすれば、ひとにもありあまる
喜びを与えられるだろう」
「他者を傷つけることになるなら、
どんな行動も成長を早めることには
ならない」
「何かを『しようと』するのはやめなさい。
さっさとすればいい」
「自分が望むやり方ではなく、
相手が求めるやり方で助ければ、
それぞれに
ふさわしい段階で
力を与えられる」
「どちらか疑わしいときには、
間違ってもいいから
同情心、憐れみの側に立ちなさい」
□『神との対話(3)』より
「誰もがそれをするようになったら、どうなるか?
これは、とても簡単な、非常に正確な物差しだ」
「すべてのひとに、
それぞれ
ひととして価値がある、
自分であるだけで
すばらしいのだと
感じさせてやりなさい」
「自分についての
最も偉大なヴィジョンの
最も壮大なヴァージョンだけで、
自分の人生を表現しなさい」
「他人にどう思われるかを
心配しているかぎり、
あなたは他人のものだ」
「生きるとは、
最上のものを得ることではなく、
最上のものを与えることだ」
「個人や社会がどれほど進化しているかは、
何を『喜ぶ』かで、測られる」
「人生が創造されるのは、
個々の瞬間だ」
「すべてに結果がある」
「失敗はあり得ない。問題は
うまくやれるかどうかではなく、
いつそうなるかだ」
「抵抗すれば、相手は強くなる。
しっかりと受けとめたときにだけ、
相手が消える可能性がある」
「いつも(always)
あなたと一緒にいる。
どこの道でも(all ways)」
→ このページのトップへもどる
■
福島 慶道(臨済宗東福寺派管長)
□『無心のさとり』より
「『精一杯生きる』とはどういうことか。
この瞬間を精一杯生きたらいいのです。
私の立場でいえば、私はいま精一杯話をしたらいいのです。
皆さん方はいま精一杯聴いてくれたらいいのです。」
「この瞬間を精一杯生きられる者は、
今日一日が精一杯生きられます。今日一日、
精一杯生きた者は、必ずこの一年が精一杯生きられます。
その積み重ねで自分の一生が精一杯生きられるのです。」
「自分を抑えることは同時に他を生かすことになる」
「生と死という対立は、五〇対五〇ではありません。
『生』が九九・九九九パーセントであり、
『死』は〇・〇〇一パーセントといわねばなりません。」
→ このページのトップへもどる
■ ブッダ(仏教の開祖)
□『ブッダの真理のことば・感興のことば』より
「すべての者は暴力におびえ、
すべての者は死をおそれる。
己が身をひきくらべて、
殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」
「沈黙している者も非難され、
多く語る者も非難され、
すこしく語る者も非難される。
世に非難されない者はいない」
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、
心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行なったり
するならば、福楽はその人につき従う」
「母も父も
そのほか親族がしてくれるよりも
さらに優れたことを、
正しく向けられた心がしてくれる」
「『かれは、われを罵った。
かれは、われを害した。
かれは、われにうち勝った。
かれは、われから強奪した。』
という思いをいだかない人には、
ついに怨みがやむ」
「実にこの世においては、
怨みに報いるに怨みを以てせば、
ついに怨みのやむことがない。
堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。
これは永遠の真理である」
「まことであるものを、まことであると知り、
まことではないものを、
まことではないと見なす人は、
正しき思いにしたがって、
ついに真実に達する」
「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、
自制・克己によって、
激流もおし流すことのできない島をつくれ」
「たとえためになることを
数多く語るにしても、
それを実行しないならば、
その人は怠っているのである」
「善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。
善をなすのにのろのろしたら、
心は悪事をたのしむ」
「『その報いはわたしには来ないであろう』
とおもって、悪を軽んずるな。
水が一滴ずつ滴りおちるならば、
水瓶でもみたされるのである」
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、
みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである」
「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。
かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない」
「他人の過失を見るなかれ。
他人のしたことと しなかったことを見るな。
ただ自分のしたことと
しなかったことだけを見よ」
「旅に出て、もしも自分よりも
すぐれた者か、または自分に
ひとしい者に出会わなかったら、
むしろきっぱりと独りで行け」
「みずから自分を励ませ」
「戦場において百万人に勝つよりも、
唯だ一つの自己に克つ者こそ、
じつに最上の勝利者である」
「先ず自分を正しくととのえ、
次いで他人を教えよ」
「他人に教えるとおりに、
自分でも行なえ」
「以前には怠りなまけていた人でも、
のちに怠りなまけることが無いなら、
その人はこの世の中を照らす。
……あたかも雲を離れた月のように」
「為すべきことであるならば、
それを為すべきである。
それを断乎として実行せよ」
「『一切の事物は我ならざるものである』
と明らかな知慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる」
「どの方向に心でさがし求めてみても、
自分よりもさらに愛しいものを
どこにも見出さなかった。
そのように、他人にとっても
それぞれの自己がいとしいのである」
「準備してなすべきことを
つねに準備している人を、
なすべき時に なすべき仕事が害うことはない」
「目的が達成されるまで、
人は努めなければならぬ。
自分の立てた目的が
そのとおりに実現されるのを見よ」
「勢いよく努め励め」
「もしも愚者が『われは愚かである』
と知れば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかも自分は賢者だと
思うものこそ、『愚者』と呼ばれる」
「一つの岩の塊りが風に揺がないように、
賢者は非難と称讃とに動じない」
「ひとは
『われはこれこれのものである』
と考えるそのとおりのものとなる。
それと異なったものになることは、
あり得ない」
→ このページのトップへもどる
■ マザー・テレサ(ノーベル平和賞受賞者)
□『マザー・テレサ 愛のことば』より
「たいせつなのは
どれだけたくさんのことをしたかではなく
どれだけ心をこめたかです」
「ほほえみ ふれあいを
忘れた人がいます。
これはとても大きな貧困です」
「人間にとって
いちばんひどい病気は
だれからも必要とされていないと
感じることです」
「無理なことを
どうこう思い悩むのは
むだなことです。
できないことは
神さまが おのぞみでないのだと思いなさい」
「あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと 貧乏であろうと
それは問題ではありません。
あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです」
「わたしたちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でも
その一滴の水があつまって大海となるのです」
→ このページのトップへもどる
■
水上勉(直木賞作家)
□『ブンナよ、木からおりてこい』より
「動物はみな弱いものをくって生きる以上、
だれかの生まれかわりだ」
「ぼくらのいのちは、
大ぜいのいのちの一つだ・・・
だから、だれでも尊いんだ」
→ このページのトップへもどる
■ 森信三(立腰教育の提唱者。管理人が私淑する方です)
□『真理は現実のただ中にあり』より
「道徳とは自分が行うべきもので、
人に対して説教すべきものではない」
□『修身教授録』より
「内面的に強くなることです。
他の一切のことは、すべてそれからのことです」
→ このページのトップへもどる
■
山本常朝(鍋島藩の武士道『葉隠』の作者)
□『葉隠』より
「武士道の根本は、死ぬことにつきると会得した。
死ぬか生きるか、二つに一つという場合に、
死をえらぶというだけのことである。」
「七代生まれかわっても鍋島侍と生まれて、
お国につくす決意が胆にしみついているだけのことである。」
「鍋島侍には気力も才能もいらぬ。一口にいって、
お家を一人で背負って立つ覚悟をつくればよいのである。」
「りんとした気持ちでいれば、
七呼吸の間に判断がついてしまうものである。」
「ならぬといふは、成し様足らざる故なり。」
「酒と云ふ物は、打上り綺麗にしてこそ酒にてあれ。
気が附かねばいやしく見ゆるなり。」
「孔子は十五歳ほどの年少で
学問の道に志を立てたところが聖人なのである。
いろいろと修行を積むことによって
聖人になられたのではない。」
「『只今がその時』、『その時が只今』、
つまり、いざという時と平常とは同じことである。」
「世が末になったのが悪いのではない。
人が精を出さなくなったのにこそ罪がある。」
「分別ありては突破る事ならず、
無分別こそ虎口前の肝要なり。」
「修行に於ては、これ迄成就といふ事はなし。
成就と思ふ所、その儘道に背くなり。
一生の間、不足々々と思ひて、思ひ死するところ、
後より見て、成就の人なり。」
「武士道は死狂いなり。」
→ このページのトップへもどる
■
吉田松陰(幕末に活躍した志士)
□『講孟箚記(上)』より
「人間が生まれつき持っているところの
良心の命令、道理上かくせねば
ならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである」
「人の身というものは、その本質を
天からいただき、徳、すなわち人格を
心のうちに具えているものである」
「至誠にして動かざるものは、
未だこれ有らざるなり」
→ このページのトップへもどる |