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・8月4日 ・8月6日 ・8月7日
・8月13日 ・8月27日
8月4日生まれ
■ 吉田松陰(幕末に活躍した志士)
□『講孟箚記(上)』より
「人間が生まれつき持っているところの
良心の命令、道理上かくせねば
ならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである」
「『国家とともに』という
志がないならば、人ではないのである」
「味方の協和が得られて、
初めて地形の有利さも、
自然の条件も役に立つのである。
それ故に、国家の務めを論ずる場合には、
まず味方の協和の問題を
取り上げねばならない」
「学問の上で大いに忌むべきことは、
したり止めたりである。
したり止めたりであっては、
ついに成就することはない」
「年齢を尊ぶということは、
わたくしにとって至要至急の問題である」
「君子は、何事に臨んでも、
それが道理に合っているか否かと考えて、
その上で行動する。
小人は、何事に臨んでも、
それが利益になるか否かと考えて、
その上で行動する」
「人を信ずることは、もちろん、
遥かに人を疑うことに勝っている」
「人の身というものは、その本質を
天からいただき、徳、すなわち人格を
心のうちに具えているものである」
「悔いるよりも、今日直ちに決意して、
仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は
問題にならない」
「人を観察するのは、
その人の目によってするのである。
胸のなかが正しいか、正しくないかは、
ひとみがはっきりしているか、
暗いかによってわかるものである」
「だいたいにおいて
世間の毀誉(きよ)というものは、
あてにならぬものである」
「学問をする眼目は、
自己を磨き自己を確立することにある」
「末の世において道義を実践したならば、
必ずその時の人々から、
極端だといわれるであろう。
もしまた、世人から極端だと
いわれるくらいでなければ、
決して道義ではないのであって、
すなわち世俗に同調し
濁った世に迎合したものにすぎない」
「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、
真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、
実にこの一点にある」
「士たるものの貴ぶところは
徳であって才ではなく、
行動であって学識ではない」
「人が横逆をし向けてくれば、
みずからのうちに、
不仁無礼のところはないかと反省し、
反省して無く、しかもなお
横逆をしむけて来るならば、
さらにみずからのうちに
不忠のところはないかと反省する」
「私心さえ除き去るならば、
進むもよし退くもよし
出るもよし出ざるもよし」
「私心がまだ除き去られないと、
その進退出処、みな私心に
拘われて(とらわれて)
道に反することとなる」
「至誠にして動かざるものは、
未だこれ有らざるなり」
「親思ふ こころにまさる 親ごころ
今日の音づれ 何ときくらん」
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8月6日生まれ
■ 辰巳琢郎(芸能人)
□『青春のヒント』より
「実力が劣っていても、
100パーセントの力を出せたやつが勝つんです」
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8月7日生まれ
■ 司馬遼太郎(作家)
□『21世紀に生きる君たちへ』より
「人間は、自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。」
「人は助け合って生きているのである。」
「自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない。」
「人々にとって、志さえあれば、
暗い箱の中でも世界を知ることができる。」
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8月13日生まれ
■ あまんきみこ(絵本作家)
□『おかあさんの目』より
「うつくしいものに出会ったら、
いっしょうけんめい見つめなさい。
見つめると、それが目ににじんで、
ちゃあんと心にすみつくのよ。
そうすると、いつだって
目のまえに見えるようになるわ」
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8月27日生まれ
■ マザー・テレサ(ノーベル平和賞受賞者)
□『マザー・テレサ 愛のことば』より
「たいせつなのは
どれだけたくさんのことをしたかではなく
どれだけ心をこめたかです」
「ほほえみ ふれあいを
忘れた人がいます。
これはとても大きな貧困です」
「人間にとって
いちばんひどい病気は
だれからも必要とされていないと
感じることです」
「無理なことを
どうこう思い悩むのは
むだなことです。
できないことは
神さまが おのぞみでないのだと思いなさい」
「あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと 貧乏であろうと
それは問題ではありません。
あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです」
「わたしたちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でも
その一滴の水があつまって大海となるのです」
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